【連載】「野迫川村のマージナルな森」[第1話] ノリウツギの可能性について
- 小泉潮
- 3月20日
- 読了時間: 4分
文=小泉潮(森林フォレスター)

世界遺産の霊場「高野山」のさらに奥にある天空の村・野迫川。森林率は全国一の97%。住民一人あたりの森林面積は50ha。冷温帯特有の広葉樹資源は300種。いずれも国内有数の規模です。この地に足を踏み入れると、命に満ち足りた森林に包み込まれ、清冽で神聖な時間に身を浸すことができます。

この村の森林はスギやヒノキの人工林一色ではありません。多種多様な広葉樹が群生する天然の森をはじめ、山菜やキノコといった恵みを提供してくれる森、清らかな水を貯え、土砂流出や斜面崩壊を防いでくれる森、環境教育やレクリエーションの舞台となる森など、それぞれの森には、地域の歴史文化やナリワイ、記憶が刻まれています。

ここでは、「野迫川村のマージナルな森」と題し、いわゆる主流のスギ・ヒノキ林業の周縁にある(あった)多彩な森林資源、人と森林との付き合い方などについて取り上げていきたいと思います。未来の森を拓く可能性を秘めたシーズ(種)は案外、マージナル(周縁)に存在しているのかもしれません。
※マージナル【marginal】一般的には「周辺や境界にある」「限界的な」「余分の」という意味で使われる。社会学では、社会的に主流から外れた個人やグループを指し、環境学では、資源が限られた地域や生態系の境界に位置する地域のことを言う。
和紙の原料となるノリウツギ
文化財修復や伝統工芸で使用される手すき和紙の原料となるノリウツギ。野迫川村では、民有林の約3割を広葉樹林(約3,900ha)が占め、低木層ではノリウツギが広い範囲で優占して自生しています。

ノリウツギは近年、資源量が減少しており、安定的な採取場所の確保は喫緊の課題となっています。果たして野迫川村産のものは和紙の原料になりうるのか。村のノリウツギの現況と可能性を探ろうと、京都大学の研究者や野迫川村森林組合と一緒に現地調査を行いました。

ノリウツギはアジサイの仲間で、北海道から九州にかけての山地に自生し、夏に白い花を咲かせます。樹皮は手すき和紙の原料として、細かな繊維状になったコウゾを均等にならす際、糊(のり)の役割を果たす粘液「ネリ」に使われます。
ネリにはオクラの仲間「トロロアオイ」を用いるところもありますが、和紙職人によると「ノリウツギを使用した方がトロロアオイと比べても粘り気が強く、完成した和紙の質も高い」といいます。
伝統の和紙との結びつきが強く、貴重な天然資源であるノリウツギなのですが、近年、資源量の枯渇が懸念されています。シカの食害や山林開発で資源量が減少しているほか、高齢化に伴う担い手不足などから安定的な供給体制を整えている地域はほとんどなく、奈良県伝統の手すき和紙「宇陀紙」の原料も北海道標津町産のものが使用されています。
一方で、地域によって粘りの違いがあることも知られていることから、標津町産と野迫川村産の形質の違いや生育状況を把握するため、調査が企画されました。
京都大学農学研究科の粟野達也助教(樹木細胞学)や、研究室の学生ら6人が来村。野迫川村森林組合の中本章組合長の案内で、世界遺産の熊野参詣道小辺路(林道タイノ原線)を歩きながら、道沿いの広葉樹林を観察して回りました。

粟野助教らはネリの材料となる内樹皮の厚さを測ったり、生育している地形などを確認。葉や幹の一部を採取しました。


粟野助教は「標津町産のものと比べると内樹皮が薄い。染色体の倍数性の違いなのか、生育環境の違いなのか、今後も研究を進めていきたい」と話していました。

野迫川村産のノリウツギで和紙がつくられる――。いまや希少資源となってしまったノリウツギの存在は、そんな未来を想像させてくれます。フォレスターとしても、まずは地道に村内の資源量の把握に努めていきたいと思います。
<寄稿者プロフィール>
小泉潮 Koizumi Ushio
1983年、京都府出身。岡山大学で昆虫生態学を専攻。卒業後、新聞記者(山陽新聞社)の道へ。十数年の記者生活を経たのち、「公の立場で自然と向き合う職に」と奈良県フォレスターに転身。2023年、野迫川村に赴任した。