【コラム】山に生きる
- 津田 一馬
- 3月20日
- 読了時間: 5分
文=津田一馬(有限会社津田林業)

人口が全国最少(離島を除く)の村、奈良県野迫川村。私はこの地で生まれ育ち、今も林業を生業として生活しています。

人口320人あまりの小さなこの村で、山に生きる私自身や会社のことを書いてみたいと思います。

山へUターン
私は、三重県の大学で林業を学び、奈良県内の林業会社での勤務を経て、2012年に野迫川村へUターンし、父が営んでいた会社で本格的な山仕事を始めました。いずれは父の跡を継ごうと考えていましたが、今思うと、父から「山仕事をしろ」や「跡を継いでくれ」とは言われたこともなく、ただただ、父の背中に憧れて野迫川村に帰ってきて来たような気がします。



とは言うものの、当時の私にとっては、林業は「給料がもらえる単なる労働」であり、自分のことも山林現場の一作業員としか思っていませんでした。
そんな中、8年前に不慮の事故によって父が亡くなり、突然会社を経営する立場となりました。あまりにも急な出来事で、林業経営はもちろん、林業技術もまだまだ未熟な私でしたので、この先自分が会社を継続していけるのか、不安で押しつぶされそうにもなりました。それでも、少しずつ勉強しながら、また周りの方々にも支えていただき、なんとかやってくることができました。
そして、会社を経営していくなかで、段々と野迫川村で業を営む企業としてのあり方について考えるようになっていきました。

私の会社は、先々代の祖父が設立し、主に村内国有林等の請負事業を行ってきました。業務内容は、主に造林・育林でしたが、15年ほど前から素材生産業も少しずつ行うようになりました。現在は従業員5名の小さな会社ですが、20代から60代の熟練者が在籍しており、和気あいあいとしながら、時には厳しさをもってワンチームで作業に取り組んでいます。


地域に密着した企業であること
また、山林作業だけでなく、原木しいたけなどの地元特産品の栽培にも力を入れています。これは、降雨時や冬期の積雪がある時期にできる仕事を確保するとともに、村の特産品としてPRできればいいと考えた父が始めた事業です。
このしいたけは、原木露地栽培にこだわって生産しています。以前は山林の中に原木を伏せ込んでいましたが、鹿や猿などの獣害被害を防ぐことが困難になり、現在は人工ホダ場で栽培しています。

近年は、度重なる大雨や台風によって人工ホダ場が大きな被害を受け、収穫量も年々減少傾向にありましたが、現在は被害を受けたホダ場を改良しながら継続的に毎年1500本程度植菌し、事業拡大を図っています。


収穫時期は春と秋の年2回ですが、平均標高が800mという立地にある寒暖差の大きい村の気候によってゆっくり成長するため、肉厚で香り高いと評判です。収穫後、そのほとんどを乾燥させ、地元の食堂やホテルの売店などで年中販売できるようにしています。

このように、林業会社であるとともに、私たちには野迫川村で果たすべき役割があるはずだと考え、企業活動に励んでいます。
野迫川村は超少子高齢地域ですが、今後の人口減少を少しでも食い止め、現状維持、願わくば人口を増加に転じさせていくためには、「雇用」を伴う「定住」が必要です。当社に勤める従業員は全員が野迫川村在住で、うち3名は村外出身のIターン者です。今後も野迫川村を中心に十分な事業量を確保し、新たな雇用を生み出し、特に若年層の家族に移住してきてもらえるよう取り組んでいきたいと考えています。
土着民のすすめ
山村での生活は、地域に溶け込み、地域の方々とコミュニケーションを取ることで、より楽しく有意義なものにできます。違う言い方をすれば、それは土着民になるということです。
村には古くからの伝統的な文化や行事、習慣が多く残っていますが、人口減少や高齢化により規模を縮小、または廃止せざるを得ない状況になりつつあります。そのため、時には現場を休んででも、そういった村の伝統を後世に残していくため、積極的に活動に参加するようにしています。

また物産展への出店や、青年団活動、太鼓クラブなどの地域活動も欠かせません。これらもまた、私の野迫川村暮らしの日常になっています。

私は今、祖母、母、妻、子ども2人の4世代で暮らしています。年が明けるとまた一人家族が増える予定です。祖母の昔話と、子どもたちの賑やかな声を聞きながら毎日食卓を囲みます。

この子どもたちが将来、野迫川村に帰ってきたいと思うような、また帰ってこられる場所を残さなければならない。
そんなことを考えながら、さまざまな活動をしています。
そしてそれは、かつて父がやってきたことでした。幼い頃から見上げていたあの大きな背中に、少しでも近づければいいな。そんな思いで、日々を過ごしています。

野迫川村の歴史を生きる一人として、村の暮らしを大切にしながら、地域に根を張った生活をする。これが、私が一番大事にしている思いです。
街には街の役割があり、田舎には田舎の役割があるはずです。そして、この地域にある森林を持続可能な林業の源として活用し、その林業を生活の軸として、持続可能な地域社会づくりに少しでも貢献できればと考えています。

<寄稿者プロフィール>
津田一馬 Tsuda Kazuma
1990年、野迫川村生まれ。中学まで村で過ごし、三重大学へ進学。林学を学び、県内の林業会社に勤務したのち、2012年にUターン。家業の「有限会社津田林業」に入職し、本格的に山仕事を始める。現在も林業を生活の軸に、2児の父として野迫川暮らしを満喫中。