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[野迫川村のマージナルな森](第6話)嶺の上の炎が灯す、いのちの循環―野迫川村、薪ボイラー本格始動

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小泉 潮(野迫川村役場)

世界遺産の霊場・高野山にほど近い、ここ野迫川村の山々は、息をのむほど美しく、同時に自然の圧倒的な厳しさを私たちに突きつけてきます。森の深い緑のグラデーションを眺めていると、都会の喧騒の中で想像する「豊かな自然」という言葉がいかにのどかなものであるかに気づかされます。山はただそこにあるだけで、時に人が生きるための巨大な壁ともなるのです。

私の心には、かつて過ごした古里、京都市左京区にある下鴨神社の「糺(ただす)の森」の記憶が深く刻まれています。ケヤキやムクノキが優しい木漏れ日をつくり、人々が読書や食事をしたり、ただ寝そべったりする、自然と人との優しい関係性が息づく空間。土地本来の木々が豊かに根を張り、そこに多様ないのちが集うことで、その心地よい森は形づくられていました。

しかし、紀伊半島山間部の現実は少し違います。森の多くを占めるのはスギやヒノキの人工林。十分に成長して利用期を迎えたものの、急峻な地形ゆえ搬出が困難で、人件費もかさみます。原木価格の低迷は長く尾を引き、今や補助金なしには林業という産業自体が立ち行かなくなっています。

野迫川村もまた、高い搬出コストや加工施設の不在から、伐り出した木を山に置き去りにせざるを得ない「捨て伐り(切り捨て間伐)」が森林施業の9割を超えるという、構造的な課題を長年抱えてきました。大切に育んできた木々が山で朽ちていく姿を見送る時、ここで生きる民たちの心には、どれほど冷たい風が吹きつけていたことでしょう。

そんな諦念の風が吹く山に、今年4月23日、新しく温かな「火」が灯りました。

村の中核施設「ホテルのせ川」の片隅に据え付けられた、ドイツ・フィースマン社製の重厚な薪ボイラーです。吉井善嗣村長が優しく火床に薪をくべると、ごうごうと音を立てて、村の未利用材が力強い熱エネルギーへと生まれ変わり始めました。

〝経営の神様〟松下幸之助氏はこう遺しています。

人には燃えることが重要だ。燃えるためには薪が必要である。薪は悩みである。悩みが人を成長させる。

山村の振興は、まさに終わりのない悩みと葛藤の連続です。許認可や予算の壁、関係各所との調整に頭を抱える夜もあります。しかし、その尽きない悩みこそが、私たちを突き動かす「精神の薪」となっているのです。専門職であるフォレスターを中心に、国庫補助事業の採択を取りつけ、一つひとつ客観的なデータを積み上げて持続可能な設計図を描いてきたのは、この困難を情熱の炎へと変えてきたからに他なりません。

この薪ボイラーは、年間約176トンの薪を消費し、ホテルの給湯や暖房を賄います。重油の使用量を9割も減らし、年間約170トンものCO₂を削減するという見事な数字を弾き出していますが、本当に心温まるのはその精緻な数字の奥にあるプロセスのほうです。

これまで「コスト」や「負の遺産」として山に眠っていた木々が今、お客様の旅の疲れを癒やすお湯を沸かし、客室を温もりで満たし、地域経済を循環させる「原動力」へと昇華したのです。山を覆っていた諦念が、パチパチと心地よく爆ぜる炎の音へと変わっていくかのようです。かつて糺の森で感じたような、人と自然が互いを生かし合う幸福な関係性が、この野迫川村の火床の上にも、確かに灯り始めています。

山と生きる仕事に、簡単なハッピーエンドはありません。ボイラーが回ったからといって、急峻な地形が平らになるわけでも、過疎化が明日止まるわけでもありません。悩みはこれからも、形を変えて私たちの前に現れ続けることでしょう。

ですが、燃やすべき「悩みという名の薪」がある限り、心に灯った火が消えることはありません。

エネルギーの地産地消と林業再興という、険しくも美しい嶺を行くフロントランナーとして。野迫川村はこれからも、この豊かな温もりを村の隅々まで、そして未来の森まで届けるために、一歩ずつ歩みを進めていきます。

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